前田さんとの出会い

 

「月3万円ビジネス」という働き方を実践してる前田さんという人が、私の住んでる木更津にいることを知ったのは、パルシステムの発行している「のんびる」という月刊誌の記事だった。

 

楽しそうに焼き芋屋をやっている前田さんがそこにはいた。

 

早速調べて、直近で高円寺で開催される月3万円ビジネスのイベントに参加してみた。しっかりと相手の話を聞きながら的確な質問を繰り出していく前田さんは、温かさとある種の恐さを持った人だった。月3万円ビジネスについて詳しく知りたくなり書籍を買って読んだ。

 

 

名前の怪しさとは裏腹に

 

藤村靖之「月3万円ビジネス 非電化・分かち合い・ローカル化で愉しく稼ぐ方法」という怪しげな本だった。

 

正直に言うと名前が怪しくて、またトンデモ系の自己啓発ビジネス本かと侮っていた。

 

だが違った。

 

読めば読むほど、冷静で的確な現状認識と透徹した将来予測、そして既成の考えにとらわれないアクロバティックな解決策。環境にも人にも負荷をかけた現在の生き方に疑問を感じ始めていた私には、まさに福音だった。

 

 

 

売上に上限を設けるという発想

 

月3万円ビジネスの勘所として最も大きいのは「月3万円しか稼がない」というポイントだろう。

 

「稼げば稼ぐほど豊かになれる」と教わってきたのに「稼げば稼ぐほど貧しくなる」ケースばかりが目につく日本において、あえて自らの稼ぎに上限を設けるという発想は、突飛に見えて合理的だと感じた。

 

月3万円程度の小さなビジネスは、競合の参入などありえない。月3万円を超えたら、他の人に教えて分かち合う。人口が減り成長が望めない「定常経済」を目前に控えたこの国では、「競い合い」より「分かち合い」が大事になってくるという予感があった私には、きわめて現実的で合理的な選択肢に思えた。

 

 

「独身だったら」という逃げ道

 

私には妻と3人の子供がいる。何か魅力的な働き方や生き方を見つけても「独身だったらやってたけどね」と心の中で呟くことで、「やらない」を「できない」に変換して、違和感や理想をやり過ごしていた。

 

だが「家族がいるから」に続くのが往々にして「嫌な仕事も続ける」とか「金のために死ぬ気で働く」とか「好きなことは我慢する」であるような社会は、本当に豊かだろうか。子どもたちが親になって同じ呪いにかけるような親の生き方は、果たして本当に子どもたちのためになるのだろうか。

 

そんなことを考えながら5年ほどが経過した。

 

 

「稼ぎ方」ではなく「生き方」

 

あーでもないこーでもないと考える中で気づいた。私は狭い意味での「仕事」のことを考えているのではなく、もっと広い意味での「働き方」、ひいては「生き方」について考えていた。子ども達に父親としてどんな「生き方」を見せられるか、それは小手先の「稼ぎ方」に収まる話ではまるでなかった。

 

なるべく人にも環境にも負荷をかけない持続可能で楽しい「生き方」はないか。その「生き方」を目指すためには、どんな「働き方」があるだろうか。その「働き方」を実践するためには、どんな「仕事」を作ればいいだろうか。そんなことを考え続けていた。

 

 

竹との出会い
 

働いていた職場の裏に竹林があった。地主さんに聞いたら切ってもいいと言う。切り出して焚き火で油を抜いて、様々なものを作ってみた。

 

これだと思った。

ずっと月3万円ビジネスの核になるようなネタを探していた。何かを仕入れて加工するのは赤字の危険性があるし、仕入れ値の変動に一喜一憂したくなかった。竹は厄介者扱いされるほど身近に溢れている。そして竹細工は材料調達から加工まで全て一人で完結できる、まさにうってつけの「仕事」だと感じた。

書籍を買うも独学は無理だと判断し、別府にある日本唯一の竹細工訓練校「大分県立竹工芸訓練センター」に入校し1年間みっちり竹細工を学んだ。学べば学ぶほど、先人の遺した知恵のすばらしさに感銘を受けた。

 

 

「野良スキル」を生かす

 

幸い私には竹細工以外にも、いままで好きで続けてきたことがあった。それは「音楽」と「語学」だ。これも「仕事」になるに違いない。専業としてはプロのレベルに満たなくても、組み合わせることで十分に「仕事」にできるのではないか。月3万円ビジネスに私の野良スキルはうってつけであると確信した。

 

別府で竹細工を学びながら、並行して様々なこと(路上で演奏したり100円で曲を作ったり)を試してみた。確かな手ごたえがあった。月3万円ビジネスをスタートするための「野良しごとメニュー」が完成した。

 

 

こうして私の月3万円ビジネスはスタートした